最近読んだ本で「求めない練習」で幸福についてこう書かれていた。
「人生を楽しむ」という言葉の意味を、間違えて理解してはならない。幸福とは、苦しみを減らし、避け、耐えることにある。「成功、富、名誉などをどれだけ得たか」よりも、「この世の苦悩をどのように見つめるか」という観点なのだ。引用Kindle版 求めない練習P15
仏教で言う一切皆苦を前提として、期待や欲望は最初から抱かず苦しみを減らす方が幸福と言うことですが、確かに賢い引き算の考え方です
一方で、現代の期待や苦しみについて分けて見てみると
・期待や欲望について現代社会ではチャレンジできる舞台も多く、近年では多様性として個人の生き方が幅広く用意されてきた
・苦しみについては一切皆苦は思い通りに行かない人生は苦しみであると説くが、遥か昔よりも思い通りに行かない苦しみの数も増えている
期待や欲望の抱けるチャンスは増えたが、苦しみを感じる機会も増えたのが現代社会です、近年ショウペンハウアーの求めない練習がブレイクしてるのもこういった背景からかもしれない
しかし本当に現代で引き算の考え方で得る幸福は本当に幸福なのか、人生はどうせ辛いと言う考えより、辛い時でも、「きっと人生は楽しいはず」と希望を抱くことが現代社会には必要だと思います。
きっと人生は楽しいはず
現代社会では本当に厳しい現実が待ち構えている、求めない練習でショウペンハウアーが説く、期待や希望を抱かない、苦しみを減らすことは決して容易ではない。生きることは苦しみであるを前提にして生活してみて感じてくる一つの感情は、「さらに辛いです」
多くの情報や物、価値観を回避し、期待や欲望を抑えることが如何に難しいか、さらに避けように避けれない理不尽な現実に耐えることなど不可能に感じた。どん底に気分が沈んだ底に幸福など見つからなかったのです。※個人の体験による感想
そこでふっと発想の転換で人生って本当に辛い物なのか?いや「きっと人生は楽しいはず」と思いはじめました。正確には思わざるを得なかったのですが、そう根拠もなく思いながら生活をする方が、心が耐えれたのです。
やらなかった後悔
きっと人生は楽しいはずと前提にしてしまうことが有効に感じてきたのは、気持ちが維持できるからです。筆者はもともと落ち込みやすい為、人生はきっと楽しいはずと希望を持ち思い続けることでバランスを保ててきました。また好奇心と行動の結果には、やらなかった後悔が後を引きづりやすい為、期待をせずに行動を取らない選択肢は損をした気分のようなものが続きやすい、またやるかやらないかを断ち切れず、右往左往する日々に悶々としてしまうこともあります。だから選択肢の多い多様化の時代には、希望や期待を抱きながらモチベーションを保ち行動をとることが有効になってくると思います。必ずしも行動を起こし期待通りの結果を得ることは難しいが、現代では人を満たす社会として資本主義が加熱し大きく発展しています、そんな中でこの好奇心とやらなかった後悔を、期待しないで回避することの方がハードルが高いと感じます。
現代の幸福論
最終的に至った現代の幸福論について筆者なりにまとめると、一切皆苦からはショウペンハウワーの言う求めないことはメンタル上整えるには非常に良い考え方で、ミニマリストのように無駄を省く(苦痛を減らす)ことで最適化する喜びのように感じられると思う。またあらゆる過度な期待は特にコントロールできない事に人は期待してしまう(執着)ため、できる限り回避することも重要です。一方で期待せず苦痛を回避すること自体が現代社会では難しい面もある、筆者の体験から一切皆苦を前提にしてしまうと引き算の末に気分は底へと落ち込んでしまうことになります、しかしこれもまた苦痛の一つとして、一切皆苦は受け入れる、その上で「きっと人生は楽しいはず」と希望を持つことで引き算に足し算の要素を与え、バランスが整うように気分(メンタル)も安定していることに幸福を感じました。人生は辛いのか?に対する答えは人それぞれだが、人を満たす社会として発展した現代では人生はきっと楽しいはずと言う希望を持てる要素を多く含みます。そんな多様な希望をやる前から回避し、やらなかった後悔に損を感じることも多くあります。現代では希望を持って人生はきっと楽しいはずと思いながら生きる価値もあり、それが多様な形の幸福に結びつくことが現代の幸福論かと思いました。今とても辛い状況の時も、こう考えてみてはいかがでしょうか

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