足るを知るの真意を知ると、幸せはここから始めるんだと分かる様になる

もっと、もっと、と言う欲望は時に人を不幸にしてしまいます。これは人の欲望が生み出した確信のない妄想だからだ。欲望は良くも悪くも、今の自分の置かれる状態から、こうすればもっとよくなるんじゃないか!?もしかしたらもっと悪い事になるんじゃないか!?憶測をし仮説を立ててしまうのです。

でもどうでしょうか?この憶測は望み通りに叶うもしくは危険を回避できるものでしょうか?こう言った妄想の話になると古来からの人間の脳が持つ仕組みについて以下の様な話になりがちなんです。


そもそも人間は狩猟で生きながらえてきた種族のため、危険を回避するため逃走か闘争するかの判断をするようになっていて、ネガティブ思考が働きやすいシステムがプログラムされていると言われています。しかし現代では、突然猛獣から襲われる、1日で食料が尽きるなんて心配はない時代に生きています…


根本的に環境が違うと言う結論、では何に今私達は苦しんでいるのでしょうか?

それは冒頭に出た「もっと」と言う欲望なんじゃないかと思うのです。今の時代は、出世、物欲、健康に対して「もっと」と言う妄想が働きやすいと思うんです。

成果主義や物の価値の向上は競争を激化させ、またネットの普及により手軽な情報の入手はもっとを追求することで発展してきた事ですが、これらについてはもっと稼いでお金が欲しい、もっと良い性能のものが欲しい、人生100年時代もっと体に良い物、負担の少ない食べ物の情報が欲しいと考えるのではないでしょうか。そしてこの欲望に沿う様にあらゆる情報が飛び交います、これらに関する本やSNS、メディアでも多く取り上げられたり、日々更新される膨大な情報が、自分にとっては何が相応しいのか、またどれが正しい情報であるのかを日々探し続けているのです。

なぜ探すのか、それは知れば「もっと」今より良くなると言う憶測の幻想に囚われているからなんです。もちろん知れば得することは多くあるのですが、膨大な情報量の選択や物の購入への積み重なる出費の金銭面、なども考えると疲弊してしまっているのではないでしょうか。

「もっと」に効く心の薬は老子の言葉にある「足るを知るものは富む」です。もっとを追求するのではなく今足りている物に目を向けて、認識することで人は幸せになれると言う意味です。心にブレーキをかける様なこの言葉を知り、自分に足りているものをまず数えます。当たり前と思うことでも認識します、家がある、家電がある、健康である、親、友人がいる‥

こうしていくと、自分は満たされている、と自己肯定感が高まります、しかしこの効果について気づいたのですが、この考え方に多くの人が救われている一方で、続かないんです。現代社会に生きているとすぐに「もっと」を追求してしまっている。生活で触れるもの全てが「もっと」を助長している気がしてならない

そもそもこの思想は2000年以上前の考え方、今の時代にはそぐわないんだろうなと思われる方も多いと思います。


でもこの言葉には福沢諭吉の考えや、太宰治の小説「正義と微笑」の一節で使われている「カルチベート」と言う言葉を合わせるとこの言葉の真意が見えてきたんです。

今までは足るものを認識するだけで、これは一時的な効力しかなく続かないものでした。これはある物を認識する、すなわち自分にとって足りている物事の「知識」と言うことです。しかし福沢諭吉、太宰治の小説に出てくるカルチベートの考えを取り入れることで大きく変わります。

・福沢諭吉の「学問のすすめ」では学問は実用的である物でなくてはならない、普通の生活に役立つ実学であると言っています。

・太宰治の小説に出てくるカルチベートは日本語で耕すと言う意味ですが、知識は覚えることではなくカルチベートすること、つまりなんらかの形で実用的に活かそうとすること。また学問は実用的でなくても、カルチベートすることで間接的に自己の成長の役に立たせることが重要と言う背景があります。

これらの考えを知ると、自分に足りているものを数えることは、自分にあるものを認識すること、つまり知識として認知しただけの状態だったのです。足るを知った知識はそのまま認識で終わっていたのですぐに忘れていたのだと気づきました。料理をすることを例にすると、冷蔵庫を開けて見て、今ある食材を数えていただけなんです。数えてそのまま扉をしめて満足していました。しかし肝心なことはこの食材(知識)をどう調理(カルチベート)するかを考えることです。料理をしようとすることで実用的に食材を使う、そしてどう組み合わせれば美味しい料理ができるかを食材1つ1つを深掘りする。

⭐︎身近な例

・家電があると足るを知る→とことん今ある家電の知識を深める、メンテナンスを怠らない

・親・友人がいるのだと足るを知る→日頃の感謝の気持ちを手紙で伝えたり、プレゼントを渡す

・健康であると足るを知る→自分なりの健康法を発信する

少しかけ離れるかも知れませんが、短所を長所でカバーする、その為に長所をブラッシュアップすることに似てます。

足るを知ることは大切です、ここからさらに富む為には認知した自分の知識をカルチベートすることで、実用的に活かせる様にすることなんです

足るを知ることは富む為の始まりなんだ

 

 

 

 

 

 

 

コメント